この記事は48歳の若さでガンで
亡くなった伝説のアナウンサー
逸見政孝さんの情報について
まとめたモノです。
その昔当時アナウンサーとしては
異端の存在であり且つ
伝説的なアナウンサーがいました。
その名は逸見政孝さん。
今では当たり前の司会やアドリブを
アナウンサーがやり出すという先駆けという
存在です。
ガンが発覚し再発するや否や
すぐさま記者会見を開き
「私はガンです」と発表。
度肝を抜かれました。
今回シンソウ坂上で当時スーパーニュースで
コンビを組んでいた安藤優子さんと
亡き逸見政孝さんを振り返ります。
逸見政孝さんのプロフィール
では伝説のアナウンサー、逸見政孝さんとは
どういった人物だったのでしょうか?
- 名前 逸見政孝(いつみまさたか)
- 生年月日 1945年2月16日
- 出身地 大阪府大阪市
- 学歴 早稲田大学文学部
- 職業 フリーアナウンサー
- 前職 フジテレビアナウンサー
享年48歳で他界した逸見政孝さんですが、
現在のフリーアナウンサーのお手本が
彼であるといっても過言ではありません。
高度なアナウンステクニックを持ち
真面目で実直というイメージを持ちながら
多彩なアドリブとキャラクターからは
想像もつかないギャップのある
コミカル性。
今売れているフリーアナウンサーの持っている
スキルを全て持っている伝説のアナウンサーでした。
フリーになってからは
ビートたけしさんとの平成教育委員会での
コンビはまるで本当の学生の
悪ガキ(たけしさん)と学級委員長(逸見政孝さん)
を地で行くようなキャスティングにお茶の間は
バッチリはまり、今も語り継がれる
番組になりました。
突然襲ったガン!怖さを抑え記者会見で病名発表
そんな逸見政孝さんですが病魔が襲います。
元々がん発症までに数々の病気にはかかっていましたが
最初にガンが発症したの1993年でした。
みぞおちに違和感を覚え検査の結果
胃がんが発覚。
切除手術を行い
当初は十二指腸潰瘍と発表していました。
しかし無情にもガンが再発。
逸見政孝さんの胃がんは進行性のスキルスという
胃がんで若ければ若いほど進行が速く
危険なガンでした。
再発した段階で医師から余命宣告を受けた
逸見政孝さんは記者会見して
視聴者に病名を告げる事を決断しました。
今でも伝説になっている記者会見が行われました。
自分の命があとわずかかもしれない状態なのに
記者会見では逸見政孝さんは落ち着いた
口調で、
「私が侵されている病。病名はガンです」
言い放った。
この衝撃の場面は数十年たった今でも
私ははっきり覚えています。
逸見政孝さんはガンと向き合い
闘う事を自分と視聴者に宣言したのでした。
シンソウ坂上でスーパータイムの相方安藤優子が逸見政孝を語る
今回シンソウ坂上で逸見政孝さんを
振り返るのですが
当時スーパーニュースという報道番組で
コンビを組んでいた安藤優子さんが
同志逸見政孝さんについて
涙で語ります。
あまりにも激しい号泣っぷりに
逸見政孝さんとの信頼関係が
ホントに確固としたものなのだと
当時から思いましたが
25年の年月を経て
今回何を語るのか?
知られざる逸見政孝さんが
改めて語られるかもしれません。
亡くなってから25年たった
今でも名前や顔そしてキャラクターまで
はっきりと脳裏に残っている
アナウンサーは逸見政孝さんだけかもしれません。
まとめ
いかがでしたか?
今回はシンソウ坂上で
取り上げられた今は亡き
逸見政孝さんについて書きました。
今も尚語り継がれる伝説のアナウンサー。
今活躍しているアナウンサーも
実力のある素晴らしいアナウンサーは
たくさんいますが
個人的な思いですが
恐らく今後も逸見政孝さんを超える
アナウンサーは現れないのではないでしょうか?
最後までお読み頂き有難うございました。